違和感を覚えること、二つ
夏の金沢です。能登半島震災支援の一環として相談会に参加してきました。
“違和感”を覚えること、二つ
たかしな司法書士事務所の司法書士 諏訪部 秀明です。
しばらくぶりで、ブログ書きます。最後のものが5月下旬でしたので、約4か月ぶり、その間、仕事をさぼっていたわけでもないのですが・・・・。
今回は、最近、身の回りに起こったことの中で、これはおかしい、違うのではないか・・と思ったことを二つ、書かせていただきます。
第1 おそまつな「措置報告書」について
これは、本年(令和6年)8月22日に、「埼玉県教育委員会教育長」の名前で出された「埼玉県男女共同参画苦情処理委員」宛の「措置報告書」です。
この報告は、昨年(令和5年)8月30日付けで「男女共同参画」苦情処理委員なる3名の方(学者、弁護士2名)から出された「埼玉県立高校の男女別学校の共学化を早期に実現するべきであるとの勧告」に対しての「措置」報告です。
この問題については、その発端となった「苦情処理委員3名」からの「勧告」内容に許し難い偏見と非論理性があることを紹介したところ(本年2月に書いた3つのブログ)ですが、その勧告に答えて出された「措置報告書」も、玉虫色の、責任逃れ、保身優先の「お役人言葉」に満ちたものとなっています。
即ち、長々と「アンケート結果」を記載しながら、いきなり県教育委員会としての見解を述べ、しかもその部分は極めてわずかで、その内容は
- 「男女における教育の機会均等を確保しながら、料来にわたり個人の能力と希望に応じた進学先の選択肢を用意することが求められている」
であり、結論として、
- 「男女共同参画社会の中において、高校3年間を男女が互いに協力して学校生活を送ることには意義があり、県教委委員会は、主体的に共学化を推進していくこととする」
としています。
即ち、①で当たり障りのないことを書き、次に②の前段でも「高校3年間を男女が互いに協力して学校生活を送ることには意義がある」と、これまた異論の余地のないことを書きながら、最後には「県教委委員会は、主体的に共学化を推進していくこととする」との飛躍した結論に飛びつき、あたかも県教育員会の進歩性、開明性を謳い、保身を図っています。
この問題については、この1年間、県民の意見聴取の場が数多く持たれ、中学生、高校生や父兄などへのアンケートも実施されてきました。それなりに労力(特に県当局のマンパワーと県民の参画)と費用が費やされてきました。
意見聴取の場やアンケートでは、生徒(中学生も含む)や父兄からは「県立高校の選択の自由・多様性の要請」が強く主張されていました。また、なぜ、国立の高校、私立高校には許される「別学校」が県立高校では問題とされるのか、などなど。
私も、意見聴取の場で、勧告文書の中にある、
「高校生活の3年間を一方の性に限ることは、人格形成からも、また男女共同参画社会づくりの視点からも問題である。」
との指摘について、それでは
- 「問題となる人格」とは何か
- 別学高校出身者にはそのような「問題となる人格者」が多いのか、その根拠は何か。根も葉もない言いがかり、偏見ではないか。
と、問うてきました。
その他多くの議論がなされてきた結果も踏まえたであろう「措置報告書」が、前記の程度の内容ですから、まじめな議論を重ねてきた人々がショックを受け、県教育員会の資質に呆れているとことです。
「勧告」に対する「措置報告」の内容(波風を立てずに、玉虫色に・・)は「結論ありき」であり、我々県民の真剣な議論も、税金も無視されたという気がしています。
第2 「相続人不存在」をめぐる議論について
この「相続人不存在」とは、ある人が亡くなった場合において、その方に相続人がいない(例えば、生涯独身で、両親とも死別、兄弟姉妹もいない)という場合の話しです。
最近では、亡くなった方の相続人ではあるが、長く疎遠であったことから「相続放棄」をして面倒な手続きには関与したくない・・・といった形で、「相続人不存在」となる・・ということも多く見受けられます。
この場合、亡くなった方が残した財産(相続財産)は、どのように扱われるかご存じでしょうか?
利害関係人からの申し出を受けて、家庭裁判所が「相続財産清算人」という者を選任し、その者が財産の清算(負債あればそれを支払い、特別な関係にあった方がいればその方に財産を引き継ぐ)をし、残りがあれば「国庫に帰属」するということになります。
この「残りがあれば国に帰属する」ということについて、しばしば聞く話が「国に渡すくらいなら、だれか知っている人に渡そう(遺贈しよう)よ」ということです。
私には、この「国に渡すくらいなら・・・」という発想、「国に渡すなんてバカバカしいでしょう」という思考が、もっともらしく語られることに大きな「違和感」を持つのです。
我々は長い歴史を持ち、文化にも富み、多くの偉人を生んだ日本に、民度の高い、勤勉な日本国民の一人として生まれ、そこで形成されてきた様々な恩恵と利益を享受してきました。
【ご参考までに・・・
いま、NHKでは文明開化後の明治時代の日本という国柄、懸命に生きた日本人を描いた「坂の上の雲」(15年前に制作・放映されたもの。司馬遼太郎原作)を再放送として放映しています。】
一方で、目を転じてみると、現在の日本は様々な困難に直面し、特に日本国そのものと、国民の安全保障の面では危機的な状況にあると言えましょう。
そのような困難を持つ日本国の将来のため、子孫のために、国民一人一人(特に長く日本に暮らしてきた老人)が、何ができるかを真剣に考えることが必要ではないでしょうか。日本国あっての日本国民なのですから!!
そのように考えるとき、「死後いくらかでも、国に対して自分の得た恩恵と利益の一部をお返ししたい・・・」というような発想こそ、自然ではないかと思うのです。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
措置報告書を読みましたが、諏訪部司法書士が指摘されているように、アンケート調査の結果は、とても共学化の推進が導き出されるようなものではないと思います。
特に、直接の当事者である現役高校生や保護者の多くが別学を支持している事実が何故か無視されています。
またこの報告書は、教育を司る教育委員会(教育長)の報告書であるにもかかわらず、教育論の観点から論じられておらず、男女共同参画しか書かれていません。
教育論の観点からは、まず共学化ありきではなく、学びの選択肢、つまり本人や保護者が学びたい学校とはどのような学校か、選択肢として提供できているか、というところからスタートすべきでしょう。
総じてこの報告書は、(どういう理由か知りませんが)初めから共学化という結論ありきで、教育委員会として本来あるべきプロセスから外れてつくられたものというしかないと思います。